
弊社の創業は1955年にさかのぼります。
祖父が創業したその「水野印刷所」を、婿養子だった私の父が継ぎ、1983年に「有限会社 水野印刷工芸」になりました。
「工芸」が社名に加えられたのは、ただ刷るというだけでなく、看板等色々な広告に対応するためだ、と父は申しておりました。
私は幼少から活版印刷機の音を聞いて育ち、1988年、23歳で家業に従事することになりました。
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ほどなくして出会ったMacの衝撃は忘れません。
簡単な操作一つで、美しい、まっすぐな「トンボ」があらわれました。
やがてDTPという言葉が一般的になったのは2000年頃。
振り返ればその頃が印刷業黄金期の終焉であり、
徐々にインターネット関連の広告やサービスが拡大し、
設備の稼働率が下がりはじめました。
2008年のリーマンショックは業界にも大きな痛手でした。
同年9月、父が病により他界、私は会社を継ぐことになりました。
時代背景的にも、自社の業績的にも、非常に厳しい状況でした。
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その3年前、創業地である蒲郡市西浦町から現在地に社を移転していました。
その際私は、「MIDECO(ミデコ)」と、社名にサブネームをつけました。
由来は<MORE IDEA & COMMUNICATION>から。
「アイデアとコミュニケーションを、もっと。」
いずれはアイデアとコミュニケーションを商品にしたい、という思いがあり、
窮地ではありましたが自社で企画から請け負う体制を真剣に模索しはじめ、
採用や社員教育にも力を入れました。
2016年頃、やっと、提案業務が本格的に売上の柱になってきました。
WEBサイトやSNSの運用がコンスタントに受注できるようになり、
私はその翌年、移転と同時に導入した老朽化というには早い印刷機を、
思い切って、手放しました。
「株式会社 ミデコクリエイションズ」は、2025年6月5日、
「有限会社 水野印刷工芸」を改組して誕生いたしました。
すでに企画を入り口とした業務が売上の5割以上を長く占め、
社名からイメージする業態と実際の業態との乖離が気にはなっていましたが、
社名が先走ることにはずっと抵抗がありました。
実際に利益の出方が大きく変わり、
企業の本態としてその名を冠するに値する、と自分が思えてはじめて、
ようやく、改組に踏み切ることができました。
実直を通り越して愚直、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
今後も過去や慣習にとらわれない発想で経営を進め、
お客様のために「響く」「効く」仕事をしていきたいと考えます。
(代表取締役社長 水野 順也)